この記事では、クリスペプラーさんと妻の馴れ初めについてご紹介します。クリスペプラーさんは東京都出身のハーフタレントで、ジローラモさんのように日本で活躍しています。由緒ある家庭の出自であり、明智光秀の実子ともいわれている「土岐頼勝」の子孫であるという情報も。
そんなクリスペプラーさんと妻の出会いや、クリスペプラーさんの若い頃について振り返ってみました。
クリスペプラーの妻は誰?
クリスペプラーさんの妻は、タレントの君嶋ゆかりさんです。
君嶋ゆかりさんは東京都出身で、グラビアアイドル、ラジオ番組のパーソナリティなどで活動してきました。クリスペプラーさんとの年齢差は23歳で、結婚当初はクリスペプラーさんが48歳、君嶋さんが26歳だったそうです。生放送深夜バラエティ番組『ワンダフル』に出演しており、番組内のアシスタント女性タレントのグループ「ワンギャル」メンバーとして活躍しました。
クリスペプラーと妻の馴れ初めは?
クリスペプラーさんと妻の馴れ初めは、ラジオ『TOKIO HOT 100』で共演したことがきっかけだったそうです。『TOKIO HOT 100』はJ-WAVEのカウントダウン番組で、1988年から放送されています。開局したばかりの頃から、ナビゲーターとして活躍しているクリスペプラーさん。2002年から君嶋ゆかりさんがパーソナリティのアシスタントに加わることになり、共演が始まりました。
クリスペプラーに子どもはいる?
クリスペプラーさんには、娘さんが1人います。クリスペプラーさんと妻が結婚したのは2006年と、約20年前にも遡りますが、子どもを授かったのは2020年でした。クリスペプラーさんは63歳で、妻は40歳で第1子を授かることになったのです。結婚して長かったお2人ですが、このタイミングで子どもができたことには、何か理由や事情があったのでしょうか?
不妊治療をしていた
クリスペプラーさんはCHANTO WEBのインタビューで、妻とともに不妊治療をしていたことを明かしました。クリスペプラーさんが妻と結婚したのは48歳でしたが、妊活を始めたのは自身が55歳の頃だったそうです。当時妻は32歳で、子どもを授かるには十分に安全な年齢でした。しかし、ご自身の年齢を懸念して不妊治療を始めたそうですよ。専門医に相談し、アドバイスを受けながら諦めて…という生活を続け、8年後にやっと子どもを授かることができたのです。
なぜ妊活を始めたのが遅かった?
この年齢で妊活を始めた理由は、クリスペプラーさん自身が「年齢相応に生きる」という感覚を苦手に感じていたからだったそうです。大好きな仕事や趣味の音楽など、やりたいことに没頭しているうちにその年齢になっていたそうで、55歳のときに、小さな子どもを連れている父親を見かけ「子どもがいる人生もいいなあ」と思い始めたとか。結婚当初は、クリスペプラーさんも妻も「結婚=子ども」という考えがなかったそうです。
実感がわくまで時間がかかった
クリスペプラーさんは当初、妻のお腹に新しい命が宿ったことを実感できずにいたそうです。単純に「嬉しい」とは思ったものの、そこまで感情移入は出来なかったのだとか。しかし、妻と一緒に赤ちゃんのエコー写真を見て、父親スイッチが入ったと語っていました。MSNによると、それまで名前で呼び合っていたクリスペプラーさんと妻ですが、子どもが生まれてからはお互いを「パパ」「ママ」と呼び合うようになり、妻との絆もより強くなったと語っていましたよ。
クリスペプラーの若い頃を振り返ってみた
それでは、クリスペプラーさんの若い頃の活動について振り返ってみましょう。まず、クリスペプラーさんは日本で生まれ、六本木で育ったというセレブな生い立ちを持ちます。インターナショナルスクールを卒業し、そのあとはカリフォルニアで過ごしました。就職を機に日本に帰国し、広告系の仕事をしていました。その際、声が素敵だと褒められたことでナレーター業に挑戦。妻との出会いの場となったラジオ番組のパーソナリティを務めたのも、このことがきっかけだったそうですよ。
クリスペプラーは若い頃からイケメン
クリスペプラーさんは、若い頃からイケメンでした。J-WAVE開局当初のクリスペプラーさんの写真が、こちらです。
当時は30代ということで、爽やかさとワイルドさが融合したルックスをしていますね。ファンクミュージックやジャズが好きだったそうで、センスもおしゃれであることが窺えます。70歳近くなった今でも、K-POPを聴くそうですから、若い頃から染みついた感性があるのでしょうね!
バイリンガルタレントの先駆者として活躍
日米のハーフであるクリスペプラーさん。若い頃に日本でタレント活動を始めたときは、バイリンガルというキャラクターを全面に押し出して、すべて英語で番組を進行していたそうです。東京が次第にインターナショナルな街になっていくのも、そしてバブル崩壊で一気に崩れ去ったのも、すべて見てきたクリスペプラーさん。ご自身のアイデンティティーとともに、日本とアメリカの言語の壁についても考えながら活動をしてきたそうです。常にご自身の「在り方」を、日米の双方に当てはめながら生きてこられたのですね。
参考:リクルート
バンド結成も
クリスペプラーさんは、若い頃の活動を経て50代になったとき、バンドを結成しています。NONE THE WiSERというバンドで、クリスペプラーさんはベースを担当しています。これまでフジロックフェスティバルや六本木ヒルズアリーナでのライブも経験しているんですよ。実は幼少期から楽器に慣れ親しんでいて、10歳で父親に「ギターを習いたい」とお願いしたそう。高校時代からバンドを組んでおり、ご自身にも若い頃にデビューのチャンスはあったのだとか。50代でその夢を叶えるとは、すごいバイタリティーですよね。
まとめ
クリスペプラーさんと妻の馴れ初めや子どもについて、そしてクリスペプラーさんの若い頃についてご紹介しました。クリスペプラーさんの妻は日本人女性で、結婚から20年近く経過した2020年に第1子を授かっていました。子どもは女の子で、現在はパパとして充実した生活を送られているようです。
若い頃からイケメンで、バイリンガルタレントとして長らく活躍してきたクリスペプラーさん。今後も元気に活動を続けていただきたいですね。















William Franklyn-Miller